稲村ガ崎で暮らすようになって海がとても身近になった。なにしろどこへ行くにも視界に青い海がある。そして風のある早朝には、ボードを抱えて小走りに海に向かうウエットスーツ姿の人たち、僕はその光景を眺めながら江ノ電を待っていた。
最初は繋がらなかったが、サーフィンをする知人や友達ができて、ここは波乗りたちのメッカだ、ということに気付いた。そして急に思いついた、僕もサーフィンをやろうと。
鎌倉のローカルサーファーたちはとても魅力的だ。あきらかに生活、いや人生の中心にサーフィンを置いている人たちが多い。プライオリティの最上位にサーフィンがある、と言った方が分かりやすいかもしれない。
例えば、鎌倉に日本法人本社のある南米大陸の南の地名を取ったアウトドア用品会社。代表のアメリカ人は大のサーフィン好き。その日は、その年最高かもしれないうねりが入っていた。ローカルだけではなく関東近郊の波乗りたちが湘南へ集結した日だった。社長は海に入って満ち足りた気持ちで、もちろん少し遅れて会社へ出社した。すると複数の社員がいつも通り仕事をしていた。そもそも経営者として表彰してしかるべきその勤勉な社員たちに対して、本気で怒ったらしい。「なんで海に入らないんだ、仕事はいつでもできる、良い波はめったに来ない、どちらが大事だと思っているんだ!(by English)」という伝説がある。
つまりそういうことだ。湘南は房総と比べて良い波はなかなか来ない。しかしたまには来る。問題は、この「たまには」に、ある。都合よく会社が休みのときに来てくれるとは限らない。家族で旅行に出発するその朝やってくることもある。とても大切な契約や約束のその時間かもしれない。おそらく普通の人は、サーフィンのためにすっぽかされたことが理解できない。前述の社長は分かってくれるだろう、ただ、圧倒的に少数派だ。
つまり、本気で波乗りをするためには、理解のある社長を見つけるか、時間や相手に縛られない生活の糧を得る手段を手にする必要がある。
人生の中心にサーフィンを据えることは、そう、生半可ではないのだ。ただ良い波に一日中もまれて、陸に帰ってきたサーファーたちは、満面笑顔で弛緩しきっている。
世の中に嫌なことなど何ひとつない、そんな表情だ。