その家は、稲村ガ崎の線路手前に張り出た山の頂、その先端部にあった。なにしろ半端な場所ではない。階段状通路を100段以上登って山道に入り、うっそうした樹木のトンネルを抜けたかなり人里離れた感のあるつきあたりだ。
小さな白い木製の門、その先に白く塗装された木造の平屋、古いオーニングが玄関扉の上の庇となり、木製の窓にはこれも木製のルーバーがはめられていた。
もちろん探検中に出会った家だ。知り合いが住んでいるわけではない。建物の先がどうなっているかはわからないが、芝が少し見えた、鉄製のアーチと植木鉢も。ここは最強の高台海眺望ポジションな筈だが、手前の潮風に鍛えられた木々が高く育っているので、眼前は林かもしれない。建物は半世紀くらい経過している印象で海の近くの正しいたたずまいを感じた。
僕にとってなんとなくこの家は原点だった。そして、この家を建てた人はどんな感覚の持ち主なのか会ってみたくなった。たぶん自分が好きなモノが分かっている人なのだろう。家だけでなく、洋服や家具や道具や庭に植えられた花や樹木、飛来する昆虫や鳥そして風や光。そうでなければこんな家は建てられないと思う。
安直な住宅が増えてきたような気がする。断熱性能や一義的な耐久性みたいなことがやたら重視されて、住まい方やスタイルがどこかに置き去りにされているのではないかと思う。カタログに記載された様々なスペック、しかしそこにはデザインやスタイルといった数値化できない情報は記載されていない。
戦後、大量の住宅を供給する必要があった。そのため工業製品のように家を製造するための仕組みが必要だった。とにかく安普請でも何でも早くそれなりに丈夫な家を建てる、というのが国家目標だったのだろう。そして日本の風土にあった機能と外観を持つ家が少しずつ姿を消して、中途半端なSFな家が増えてきた。造り手も安易だが、施主も想像力を失った。いや想像力を必要としなくなった。
そして家はカタログで買えるものと考える人たちが増えてきた。でも機能の積み重ねでは、僕が出会ったような家は絶対に建てられない。自分の好きなモノを追い求め続けられた人だけが理想の家を手に入れられる可能性が高い。
もちろん自分のことは棚に上げている、ただ僕にその家は何かを気付かせてくれた。例えば洋服選び、僕たちは何度も失敗する、しかしその中でなんとなく自分のスタイルを確立させていく。無数の選択肢の中から一枚の洋服に出会った時の喜び、無数の失敗の先にたどり着いた自分なりの物差しが反応する瞬間だ。