ネバダの砂漠に毎年出現するブラックロックシティ、バーニングマンの会場だ。
今年初めて参加した。
そもそも砂漠で1週間のキャンプ自体非現実的なのだが、最寄りの文明から車で4時間ほど離れた不毛な土地に人口5万人の町が唐突に出現する異様なイベントだ。
このイベントというか祭りの特徴は、商業主義の否定と全員参加にある。会場には、どんな企業のブランドも掲示されていないし、飲食も含めてお金が使える場所がない。ただし一か所だけオーガナイザーが提供するカフェがありそこではおいしいコーヒーが買える。そして、傍観者は必要ない、というスローガンのもと観客ではなくプレーヤーとしての参加を義務つけている。
僕の常識感を激しくシェイクしてくれた出来事は数多かったのだが、到着した早朝、砂漠の朝日をテンプルという施設で待っていた時、だんだんと明るくなる夜明け、周囲の参加者たちの姿が見えてきたとき、とてつもない連中が集っているのだ、と勝手な思い込みが大きな間違いだったことに気付いた。
日本の多くのイベントや箱では、微妙なドレスコード的なもの、あるいはプロトコルが存在していて、スタイルの異なる人は排除される傾向がある、ように感じることが多い。
朝日に照らされた参加者は、千差万別、老若男女・・・、共通のスタイルが見いだせなかった。そして肩の力が抜けた普通な人達がそこにいて、瞬間的にここは居心地の良い場所だ、と思え、僕の気負いを消し去ってくれた。
おそらくアメリカという存在自体がバーニングマン的なのだろう。国として民族として長い歴史のない存在であるがゆえに、常に新しいものを生み出す力を自然と備えているのかもしれない。コンピュータもインターネットもバイオテクノロジーも産業の萌芽はここから始まった。
隣の顔色を窺う必要のない環境が圧倒的な創造力の源なのかもしれない、僕のバーニングマンはそんな感想文で始まった。