山に行った、雪の山だ。
雪が見たいわけでも、非日常なものすごい眺望を楽しみたくて行ったわけでもない。
理由はとても単純で、雪の付いた山を登りたい、ピークに到達したい、それだけだ。
そしてとても安易に考えていた。
晩秋に行ったのだが、基本装備はほぼ夏山と同じだった。
ピッケルなし、レインウェアに3シーズン用登山靴、コンビニで売っている手袋、アイゼンは一応持って行った、ただし4本爪の。
普段の日中で零下という温度を体験することはほとんどないが、標高も2,500メートルを越えるとさすがに厳しい。歩いていると身体は暖かい、というか暑い、しかし足と手の先端部、そして耳...、寒い、冷たい、というよりも痛い。
凍傷というワードが頭を過る。
そんなこんなで歩きはじめて1時間弱でこころは折れる寸前だった。
稜線に出て岩と雪がミックスされた傾斜の激しい登り、ほとんど垂直な感じ、靴底の4本爪は頼りないを通り越していた、もっと爪が欲しい、ほぼ氷の不安定な斜面の上でもし足を滑らせたら、どこまで滑り落ちるか分からない、ピッケルもないので身体を支えたり、滑落を止めることもできない。
というか持っていても使い方が分からないのだが。
心は恐怖感で充たされた、僕は、頂上付近を見上げながら登頂を断念することにした。
そしてゆっくりと身体を反転して今登ってきた道を見下ろしたとき、その高度感に目がくらんだ、壁のように見えた、岩と氷の斜面だ、どうやったらこんなところを下れるのか...、危機意識は増幅していって、そうパニック一歩手前まできていた。
突然、自宅の納戸の電球が切れていることを思い出した。
毎日出入りする場所でもないのでほったらかしだった。なんだか申し訳ない感情が湧いてきて、そして家のことが懐かしく感じられた。
その時、下山中の登山者が僕をサクサクと追い越して行った。あきらかに僕よりもずっと年配の人だ。その瞬間、折れかけた心が奮い立った、行こう!その人たちの踏み跡をたどりながら峠まで下ってくることができた。
ともかくこの山行がきかっけとなって雪山登山の学習を始めた、夏と違って、道具類の価格の高さには躊躇もあったがとにかく揃えた。
それから納戸の電球は交換し、淡い白熱球の光に空間が充たされた。
と、不動産屋のブログなのに内容がエクストリーム化してきた、ちょっと不安。