稲村ヶ崎R事情、第2回は裏山を借景にかかえる緑豊かな新築の一軒家からお送りします。
希望する条件の土地との出会い。その機を逃さず、鎌倉の自分たちの「秘密基地」を手に入れた、こちらのご家族のケースをご紹介します。
周囲の緑に溶け込む一軒家。変形の敷地に合わせて建物の外形を七角形に。外壁には厚みの違うカラマツ材をランダムにはめ込み、濃い茶色の木材保護塗料を塗った。 屋上でのんびりするミノオカさんご家族。晴れた日には屋上から相模湾の稜線までも見える。 鎌倉のキャリアを積む
山の急斜面を背景に南側に谷が開けた土地に、緑に囲まれて建つ七角形の家。
「まわりの景色に馴染むような外壁の色を選んだら、夕方になると建物の姿が山に溶け込んでしまうかのように見えなくなって。窓からこぼれる光だけが見えるんです。」
ミノオカ・リョウスケさん、セイコさんは、夫婦と子供2人の4人暮らし。ここ鎌倉に越してくるまで、長らく目黒区で暮らしていた。住んでいた街も気に入っていたが、子供たちが大きくなるにつれ、もっと自然とふれあえる土地へ移り住みたいと考えるように。
居間スペースの吹き抜けは一番高い場所で6m以上。右に見えるのが暖炉の煙突。 そこで緑が多く、文化度の高いところ、と条件を絞っていくなか、鎌倉が候補に挙がってきた。都内で働くセイコさんが通える範囲であることも重要。通勤の便も考えて鎌倉駅から徒歩圏内の物件を中心に探し始めた。
はじめはハウスメーカーの物件も見ていたもののフィーリングが合わず、友人の建築家に相談し、土地探しから一緒に手伝ってもらうことに。鎌倉の不動産屋をいくつか当たり始めた。
左:暖炉にくべるための薪小屋、ミノオカさん作。右:南東側の壁には、屋上にロープを架けるフックを取り付け、フリークライミングができるよう計画的にカラマツ材をはめ込んだ。 そのなかで稲村ヶ崎R不動産(現 鎌倉R不動産)にもコンタクトを取り、2009年7月、フジイが案内する鎌倉の一日を過ごす。
「フジイさんはスーツじゃなくて、山登りをするようなラフな格好で鎌倉駅にあらわれたんですよ。佐助、扇ヶ谷あたりが希望だと伝えていたのに、はじめに稲村ヶ崎に連れて行かれて。しかも移動は車じゃなくて徒歩と電車。極楽寺、由比ヶ浜とまわり、家が周りにまったくない源氏山のきついアップダウンも一緒に歩きました。ねえ、普通の不動産屋さんじゃないでしょう。」
庭は建物の完成後に造園家にお願いした。目指すのは「家が森に還っていくような庭づくり」。一番大きい右の木がカツラ。これから先もっと大きくなる。 稲村ヶ崎R不動産(現 鎌倉R不動産)では、物件単位ではなく、鎌倉の街全体から住む場所を捉えて欲しいと常々考えている。特に県外から移り住むことを検討している人に対しては、それぞれのエリアがどういう雰囲気なのかをまず歩くスピードで感じてもらい、そのなかで物件を紹介したいのだ。
その考え方がミノオカさんの気持ちにピタっとはまった。だが、その日は条件に合う土地は見つからなかった。
「1ヶ月集中して鎌倉に通ってみて下さい。キャリアを積んでください。」
とのアドバイスのもと、休みごとに鎌倉に通いさまざまな物件を見て、まさに鎌倉のキャリアを積んでいったのだ。
2階の階段踊り場からテラスをのぞむ。3つの窓それぞれから裏山の緑が見える。 綱渡りの連続でした
集中的に探し始めて一ヶ月ほど経った8月のある日、「良い土地が出ました!」との連絡が入る。
その土地は見事に二人が求めていた条件に合致していた。佐助エリアの南側に開けた緑豊かな土地、鎌倉駅から徒歩圏内、そして周辺の相場と比べての値ごろ感。しかしながらこの土地には特殊な事情があった。建築確認申請を2ヶ月後までに、そして7ヶ月半後には建物を竣工させる、という条件付きでの価格だったのだ。
鎌倉のキャリアを積むなかで、条件に沿う物件がなかなか出ないことを実感していた二人は、今回の物件が「出物だ。」と分かった。そこですぐに友人の建築家に連絡。ただ通常は設計だけで1年かかることもザラであり、このスケジュールは建築家にとって即断できるものではなかった。一日経ち、考え抜いた建築家からGOサインが。そこからは待った無し、土地購入のためのローン審査手続き作業に奔走。売買契約が済みほっとしたのもつかの間、設計図面が出来上がってくる。短い期間で作られたとは到底思えない魅力のつまった図面に大きな修正は一つもなかった。
「期間、ローコスト、変形地、そして鎌倉の歴史的景観を守るための制度。難しい問いがあったからこそ答えが早く出せた。」
依頼した建築家、ミハデザインの光本直人さんはのちにそう言ったそうだ。ミノオカさんご夫婦の要望も明快だったし、建築家の回答もそれに十二分に応える頼もしいものだった。施主と建築家の息がぴったりあってこその幸せな回答が得られた設計図面は、ほどなく申請の準備へ。そして期限の2ヶ月以内に建築確認申請を終え、着工へ。
何回も「もうダメだ!」という綱渡り的なスケジュールをくぐり抜けて、そして2010年3月、土地取得から一年を待たずに七角形の家が完成した。
奥がワークスペース。ミノオカさんが腰掛けている場所は子供たちにとっては絵を描く机にもなる。 完成、でも未完成
玄関を入ると、右手に吹き抜けの居間スペースがある。ここにある暖炉が建物内の暖房の全てを担っている。そして中央の階段に沿って、1.5階、2階、2.5階、屋上と階層が小刻みに分かれている。それぞれのスペースは周囲の気配を感じながらもゆるやかに仕切られており、初めて訪れる人にとってはまるで迷路のよう。少し場所を移動するだけで思わぬ景色が開けてきてあっと驚く。
まさに「大人が本気でつくった秘密基地」、これはミノオカさんが建築家と話していたときに出てきた言葉。そこから「kiti(きち)」と名付けられたこの建物は、子供にとっても大人にとってもわくわくしてしまう場所であることは間違いない。
左:1400mmの高さの床下スペースは子供が立って歩ける高さ。 右:家の全景。外周部が木造在来工法で内部が2×4工法と特殊な構造になっている。 またこの家には、北側の窓からとても珍しいものが見える。それは裏山にある「やぐら(=岩倉)」だ。やぐらとは、鎌倉に2000以上あると言われている中世時代の横穴式のお墓のこと。その存在は人によって受け止め方が大きく違う。実際、お墓だからと嫌がる人もいるというが、ミノオカさん一家は好意的に受け止め、北側にもたくさん窓を作った。お風呂の窓からも毎日見えるやぐらは、ミノオカさんにとって今ではその歴史書を調べるほど興味深い存在になっている。
2階の和室スペースから見える「やぐら」。 壁は構造材のラワン合板そのままで、釘を打った大工さんの金槌の跡までも見えるむき出しの状態。構造として支柱となっている2×10材の間仕切りには、完成後にミノオカさんが端材の横板を入れ、机や本棚になっている。そう、この家では場所や建具に固有の役割がない。そこにある「机のようなもの」や「椅子のようなもの」は、人間の大きさによって、また興味によっても役割が変わる。各々が使い方を発見するたびに、フレキシブルに改変されていく。
構造体としては完成、でも内装はきっといつまでも未完成のまま、これからも時間をかけて、愛情をこめて、家づくりは続けられていくのだろう。
1.5階から居間スペースを見下ろす。 1.5階にあるワークスペース。歴代の作品たちに囲まれて。 「図工計画家」ミノオカ・リョウスケ
ミノオカ・リョウスケさんの職業は「図工計画家」。その名称は手掛けている仕事の範囲の広さから付けられた。絵本やイラスト制作のような二次元的な作品からクラフトなどの立体作品まで、「図画工作」全般を「計画」する専門家として20年のキャリアを持っている。また前職は空間デザイナーとして、博覧会やデパートなどのディスプレイの仕事を手掛けていた多才な人物だ。
左のパネルも作品。家とぴったり調和していて、まるでずっとあったかのよう。 鎌倉に移り住んだ目的のひとつには、将来的にこの場所で絵画造形教室を開きたいという思いもあった。ミノオカさんがイメージしている教室は「寺子屋」。通りがかった人が気軽に外からひょいとのぞき込むことができるような、外と内がつながっているイメージだ。そのプランを建築家と共有した結果、玄関からも裏口からも土足のまま入ることができる、吹き抜けの開放的なアトリエができあがった。
この家がつくり続けられる所以にはミノオカさんがプロの腕前を持つこともあるが、志している方向性とも関係している。制作するなかでの気付きやひらめきを家に対しても持ち続けていたい。この家を実験し続ける場所として捉えているのだ。教室の開催は未定だが、ひょっとしたらアトリエの使い方ももっと拡張していくのかもしれない。
子供の誕生日にリクエストされた電車。これもミノオカさん作。 玄関から1階のアトリエをのぞむ。 ここのところミノオカさんは、幼稚園や大学、文化センターなどさまざまな場所からお呼びがかかり、レクチャーやワークショップを行っている。子供向け、大人向けだけでなく、美術を教えるプロ向けのレクチャーも受け持つこともあるという。対象に合わせてアイデアを凝らしたレクチャーやワークショップはどこも盛況の様子。これからは制作活動のかたわら、子供の美術教育にも力を注いでいくとのことで、年内には小学生のための絵画の手ほどきを実践的に綴った本の出版も予定している。
ご興味のある方、詳しくは以下のホームページで進捗報告をお待ちください!