まさに絶景! 丹沢山系の尾根上に建つ広い一軒家からは遮るものひとつない景色が広がります。そしてこの家には、なんと庭に「神様」が祀られているのです。
今回の稲村ヶ崎R事情は、このたぐい稀な物件を手に入れたご夫婦の、自然のリズムに寄り添う暮らし方をご紹介します。
2階の窓から東方向を見る。空が澄んでいるときには街の向こうに相模湾の水平線が見える。 小野寺剛さん、歩さんご夫婦。この日はバーベキューに呼んでいただきました。自然のなかでいただく歩さんの創作料理、絶品でした! 太陽とともに暮らす
小田急線新宿駅から急行に乗り1時間15分、到着するのは神奈川県の中西部、秦野市にある渋沢駅。駅からは車で10分ほど、丹沢尾根の山道を登っていくと、緑のなかに立派な門が見えてくる。門を抜け玄関までつづくアプローチの、右手には広い花壇が、左手には屋根付きのガレージが。そして目の前にあらわれるのはRC造のモダンな大邸宅。
この家のまず特筆すべき素晴らしさは、屋上から遮るものなく遠くまで360度すべての景色が見渡せること。天気の良いときは、西には富士山が見え、東には相模湾の水平線が、烏帽子岩も江ノ島もくっきりと見える。
「朝、山の下に雲が立ちこめ、家が『雲海』の上にいるようになることもあるんです。夕焼けが空一面を染める姿も素晴らしくて」と、この物件を購入した小野寺剛さんは言う。
築40年余、白い壁が空に映えるモダンRC造の邸宅。 早朝、山の下に立ちこめる雲海。2階の寝室から東方向を撮ったもの(剛さん撮影)。冒頭の画像で写っていた、秦野の街がすっかり見えなくなっている。 「1日の時間の流れや季節の移り変わりを改めて感じるようになって、ここに越してきてから自然のリズムに合わせた生活にがらっと変わったんです。毎朝、日の出とともに起きて、昼間は精力的に動いて、日が落ちて夜になるとあっという間に寝ちゃう。忙しくても精神的に満たされる毎日です」と、奥さんの歩さん。
1970年代に建てられた2階建ての建物は、屋上までつづく階段を中心に、両側に広々とした居室を各階に2室ずつ配した間取りで、総床面積が250平米ほど。土地は裏山の雑木林を含めてなんと4000平米以上あるという。そして、この家が建つのは「市街化調整区域」に指定されているエリア。「市街化調整区域」とは、その法律が制定される時までに建った既存の建築物を除いて、原則、建築物があらたに建つことがないよう都市計画法で義務付けられた区域のこと。だからこの先、景色を遮る建物が建つ可能性はない。
羨ましいなんてレベルをはるかに超えた豊かな生活! では実際、この家は高いのか? といえば、都心に小さな一戸建てを買うのと比較検討できる価格で、これだけの眺望と広さが手に入ってしまう。さまざまな利便性を失うことと引き替えに選択することができれば、雄大な自然とともに暮らすことは夢ではないのだ。
2階、東向きの寝室。カーテンを吊さず、朝日とともに目覚める日々。 寝室の下に位置する居間。1階からでもこの眺望! 暖炉で鍋を温めたり、ピザを焼くことも。 神様のいる庭
そしてもうひとつ、この家を特徴付けるのは、庭にある祠(ほこら)の存在。なんと庭の一角に、植物や石で区切られ、2基の石祠が鎮座する場所があるのだ。そしてこの場所だけが土地所有者の違う「飛び地」になっている。所有するのは山の下に住む集落の一族。年に数回訪れ、周囲にしめ縄を張り、お参りをして、草木の手入れをしていくという。
「最初、お墓だって聞いていたんです。実際には祠だったから、家に『守り神』がいるような感じでますますありがたい」と剛さん。
南側に景色が開けたこれだけの場所だからこそ、昔から集落の氏神さまが祀られてきたのだろう。小野寺さんも普段から庭の土地と一緒に芝刈りをして、手入れに協力する。冬には所有者の方から暖炉にくべる薪も頂いたりなど、「神様」が縁でよい関係を築いている。
上:植物や石でゆるやかに枠取られている場所が、氏神さまの土地。左下:2つのうち小さいほうの祠。石に文字や絵が彫られている。右下:リフォーム時につくった車椅子用スロープと、歩さんのお母さん。 広々とした田舎に住みたい
小野寺剛さんと歩さんはともに神奈川県生まれ。12年前に一緒に暮らし始め、茅ヶ崎エリア内で4回引っ越し、テラスハウスや文化住宅などさまざまな家に住んできた。そして賃貸生活を卒業しようと考えるようになったのが2010年の初め頃。購入するならとにかく広いところがいい、土地代の安いのんびりした田舎で、剛さんが所有するバイクを置けるガレージがあって、とイメージを描くようになった。
歩さんの両親が父親の定年退職を機に茅ヶ崎から福島県に引っ越していたことから、地縁のある場所でと探し始めた矢先、いわき市にある物件に出会った。そこは数寄屋建築の平屋で納屋もあり、建物も土地も広大で且つ値段も安い、理想をかたちにしたような物件! 二人の心は躍った。けれど所有者側の事情から購入をやむなく断念。がっかりしつつ、もう一度気を取り直して神奈川県でも物件を探せたらと、稲村ヶ崎R不動産(現 鎌倉R不動産)へ相談に。この秦野の家を紹介されたのだ。
初めて訪れたのは2010年12月。二人はこの家を一目見て気に入った。具体的なイメージをいわき市の物件で共有できていたからこそ決断も早かった。
「最初、広すぎてびっくりしたんです。こんな豪華なところに私たちが住んでいいのかなって思って。裏山の雑木林も素晴らしくて、あらたな世界が広がる気がした」と歩さん。
そして2011年3月に契約へ。折しも契約の一週間前に震災が起こり、福島では両親の家のガスや電気が止まり、しかも父親が病気で介護を受けていたこともあって困難な生活を余儀なくされていた。そこで両親を秦野に呼んで、4人で暮らすことに。
住むにあたり、築40年を越えところどころ痛んでいた建物は、全面的なリフォームが必要だった。雨漏りをしていた屋根を修理し、塗料が落ちてボロボロになっていた外壁を白く塗り直した。内装も壁のクロスを剥がして白く塗り、カーペットも取り替えた。あわせて、1階の庭に面した部屋に介護用ベッドを置き、窓から直接入れる車椅子用のスロープもつくり、両親が暮らす準備も完了。5月、新しい生活がスタートした。
緑いっぱいの裏山の雑木林。どこまでが敷地内!? お金のかからない豊かな生活
この家に暮らしてみて変わったこと、ひとつには生活リズムの変化。そしてもうひとつ、思わぬ良い変化としては毎月の「生活コスト」が下がったことだと剛さんは言う。
「窓を開けると突風かっていうくらいの強さで風が抜けるから、今年の猛暑でもエアコンをつけなくて過ごせたんです。それからこの地域は水道が通っておらず、丹沢山系の地下水をくみ上げて使っている。しかも水は良質な鉱泉なので冷たくて美味しいんです。あと、外食をしなくなりました。今では2、3ヶ月に1回するかどうかくらい」
「家庭菜園も少しやっているけど、自然に食べられるものも多くて。夏には庭にミョウガがたくさん生えるし、秋にはジネンジョが山の斜面にできる。あとアケビも採れるんです」と歩さん。
左:本気で使うならこれ! 剛さんお薦めのハクスバーナ社のチェーンソー。中:ブロアを背負って落ち葉を掃除中。右:玄関脇に通路をつくっているところ。枕木を購入するところからすべて自分たちの手で。 何という贅沢! しかし、自然は享受するだけではない。その代わりにこれだけの広さをもつ敷地の手入れの大変さは半端ないはず。
「手入れは友人たちや近隣の方々にもたまに手伝ってもらいますが、ほとんど僕らでやってます。この広さだから手作業だけでなく、道具も使って。例えば、エンジン式のブロア(落ち葉などを風圧で吹き飛ばす道具)も使うし、チェーンソーや草刈機も適材適所で使い分けます」と剛さん。まるで公園整備をするような道具がガレージにそろっている。ここで生活することによって庭木に対しての知識や経験のレベルも格段に上がったそう。
「家のなか全てに掃除機をかけると1時間半くらいかかるけど、嫌じゃないんですね。うーん、夫も母も私もみんな掃除が好きなんです」と歩さんも笑いながら言う。
かかる労力を苦に感じず、それどころか知識や体力をポジティブに手に入れていく。物事をあるがままに受け入れてその時々を楽しむ小野寺一家のおおらかな雰囲気が、庭に、家に、あらわれているようだ。
「職住密接」な暮らし方
剛さんは引っ越しと時を同じくして、2011年春に、海外オートバイパーツ等の輸入・販売会社「BONSAI」を立ち上げた。社名の「BONSAI」は、バイク好きが高じて「バイクへの愛が暴走した挙げ句、乗らずにカスタムを施し眺めるだけでも満足」な状態を、植木の盆栽になぞらえて付けたという。
ガレージは元々あったものをリフォーム時に白く塗り直した。 「物を売る側の人間が身をもって体験していないとその魅力は伝わらない。だからこそ僕自身のライフスタイルを提案できたら」と、剛さんは自らのバイク好きを仕事へとつなげた。これまでは家とガレージを二箇所の離れた場所で借りていたから、コストもかかり自由度も低かったが、家を購入することで解消された。それによってバイクライフを存分に満喫できるようになることが、会社を立ち上げることへの覚悟にもつながったという。この家で暮らすことで、「仕事」と「趣味」と「生活」とが密接に結び付いたのだ。
暇をみつけてはガレージにこもってバイクと過ごす剛さんに、日が暮れると歩さんの「ごはんができたよ」の声が届く。夜は一家で暖炉を囲みながら、星空を見上げてほっと一息つく。そんな秦野の豊かな生活が、自然のリズムに添って今日も明日もつづいていく。
愛情を持って手入れされている剛さん所有のバイク。